卒業設計
この卒業設計は、劇場・音楽共用の多目的ホールと図書館、さらには展示施設・集会施設をまとめた、複合的文化施設である。北上地域の文化活動の拠点として提案している。
当時、学部で、設計意匠の指導的役割を果たしていた教授が、神代雄一郎先生。当時はポストモダン全盛の時代だった。神代先生も、磯崎新氏のつくばセンタービルを絶賛支持していたし、大江宏氏の一連の歴史様式をうかがわせる作品群にも好意的で、思想的背景を支える論客であった。ところが、このプレゼンテーションパネルには、展勝地の桜、鬼剣舞の民族的衣装と、ローカルなにおいがプンプンさせる一方、設計された建築は、外装がすべてガラス張り、内部も今で言うハイテク思考で、ローカルなイメージがまったくない。そこで、神代先生の強い批判を受けで、ディプロマを獲得できず次席に終わったと、指導教授の加藤隆先生から聞いたように覚えている。
確かに、今、冷静な目で振り返ってみると、コンセプトパネルの「鬼剣舞」「展勝地桜並木」「北上夜曲の碑」とデザイン的相関関係を見つけるのは難しい。しかしながら、計画した「複合的文化施設」は「北上地域の文化活動の拠点」という施設の性格から、都市計画上、この施設のあるべき敷地は、ここが必然であったのである。つまり、和賀川と北上川の合流地点であり「展勝地」や「「北上夜曲の碑」を見渡せるこの場所は、北上という都市の文化的背景そのものである。さらに、このような「北上地域の文化活動の拠点」が新幹線の駅裏にできれば、「夏祭り」のの開催主会場となることでもあろう。もちろん「夏祭り」の最後を飾るのは「鬼剣舞」である。つまり、「鬼剣舞」「展勝地桜並木」「北上夜曲の碑」のイラストの意味は、この施設の都市計画上の配置コンセプトであったと、今になれば分析できる。
建築デザインについてみれば、後世の「ハイテック・スタイル」を予感させるものとなっている。これを作成した時代は、歴史的モチーフを引用した「ポスト・モダン」が花盛り、その後、「デコンストラクション」の後、もしくは、傍系として現れたのが、建築構造を直裁に見せる「ハイテック・スタイル」である。その「ハイテック・スタイル」への潜在的欲望の発芽があったのかもしれない。また、北上という地域的性格上、歴史的伝統を重んずるより、先進性を選ぶ気風を表現したかったのだと思う。
現在、現在北上川沿いには、8階建てのホテルが立ち、高層マンションの流行によって、駅の東側には高層マンションが立ち並ぶことも考えれれる。建築デザインの質より、建築の巨大なボリュームが景観を圧倒する時代となってしまった。景観法が制定される一方で、都市の景観のビジョンなき開発が進められようとしている。果たしてそれが、目指す都市像なのか、はなはだ疑問である。